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うさぎ島旅行 〜地図から消された島編〜

うさぎ島は、かつて毒ガス工場があった島。

 

2週間前に行ったうさぎ島(大久野島)旅行のこと、

わずか1泊2日の旅だったのに、

まだ思い出されます。

 

それは、楽しい思い出だけではなく、

この島の暗い歴史も垣間みたから。

 

大久野島には、昭和初期から昭和20年の終戦まで、

毒ガス製造工場がありました。

 

その事実を、行きの船内アナウンスで知りました。

船のエンジン音で、案内の女性の声がとぎれとぎれにしか聴こえない中、

「…今でも後遺症に苦しんでいる方がいます…」

という内容が聞こえたの。

えっ?何のことだろう?

後遺症ということは、何かの毒性物質?

 

その答えは、島に着いてすぐわかりました。

船の発着所からホテルへとつづく道の途中にあった、

レンガ造りの小さな資料館。

それが、毒ガス資料館でした。

 

うさぎを追いかけるのに夢中な息子を手をひっぱって、

もう一方の手には重いスーツケースも引いてたけど、

中に入りました。

小さな展示室ではあったけれど、

見ておいてよかった。

 

毒ガスを作る際に使われた、

陶製の大きな容器や、

全身を覆うゴム製の防護服。

そして、毒ガス兵器の犠牲になった人々の写真…。

 

毒ガスを作るということは、それがどこかで使用されるということ。

また、作る側の人にも、被害が及ぶということ。

 

この小さな島の工場で、

多い時には1000人もの人が働いていたそうです。

 

でも、毒ガスを製造している情報が漏れてはいけない。

その機密保持のために、

当時の地図から大久野島は消されていて、

資料館には、島周辺が不自然に空白になっている地図が展示されていました。

 

資料館を出たあとに、兵器のこと、戦争のこと、

すぐには忘れられなくて、

いろいろ考えながらホテルに向かいました。

15時のチェックインまでかなり時間があったので、

荷物だけクロークにあずけて、島中央の山に息子と登ることにしました。

 

島のあちこちに廃墟があることを、

息子はヒカキンさんの動画で知ってたんだけど、

何の建物だったのかは知らなかったのよね。

 

島に来てみたら、

その廃墟の正体がわかりました。

毒ガスの貯蔵庫や、研究所、火薬庫、砲台、発電所。

 

わたし、ホラー映画は怖くてとても見られない方です。

でも戦争の映像や遺跡については、怖くても見る。

 

だって、これはフィクションではない。

過去に、たしかにそこに人がいた証。

戦争でその人の人生が壊され、

人を傷つけ、自分も傷つき、

多くの命が残酷に奪われた証拠なのだから、

ちゃんと目に焼き付けておかなくては、と思うのです。

 

だって、学校の授業では習わないでしょう。

歴史の先生も、詳しくは教えてくれない。

この場所に足を運ばなければ、この残酷さは伝わらない。

 

日本という国から戦争がなくなってから、

まだ70年ちょっとしかたってないのよね。

わたしたちの祖父母、2世代前は経験したこと。

じゃあ、これから後の2世代、たとえば自分の子どもや孫の世代まで、

戦争がない社会を続けていけるだろうか。

 

戦争を語れる方がいなくなったあと、

どうやって伝えていけばいいんだろう?とよく思います。

わたしも、もちろん戦争を知らない世代。

 

平和に見えるこの国の壮絶な歴史も、

可能な限り知っておきたいと思う。

だって、かつては地図から消されて、なかったことにされてたこの島、

今は実際に存在していて、足を運ぶことができるんだから。

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